トツプページ | 活動状況 | 会員募集 | 会員通信 | 作品紹介 |
このページは、会員の四季折々の活動を中心に紹介するコーナーです。 |
≪到達目標のイメージ≫ この映画を企画・制作する過程で、地域の人々、老若男女が多数参加し、助け合い協力して映画を完成させる。 2014年に「東松山市制施行60周年記念映画」として大々的に公開され、多くの人々に感動を与える。 この映画の制作や公開が地域の人々の自慢となるような全国的話題となる。 |
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「世界最高峰 エベレスト」 |
ビデオ制作については若葉マークの超新人、大山 光一です。ご指導をよろしくお願いします。 |
見竹さん 本研修会の総合司会を担当 菅原 講師 コンテスト審査委員長 もとNHK 「NHK特集」「NHKスペシャル」「新日本紀行ふたたび」など制作・デイレクター・チーフプロデューサー 比企ビデオクラブ会員も参加 |
去る3月17日(土)18日(日)の2日間
「映像文化を広める県民研修会」参加者160名が国際婦人教育会館で行われました。 |
「蒼白の少年少女たちによるハムレット」 監督演出 蜷川幸雄 さいたま芸術劇場 |
2月28日(火)さいたま芸術劇場 ネクスト・シアター第3回公演「蒼白の少年少女たちによるハムレット」監督演出は蜷川幸雄(77)全席指定 4000円(満席+αでした) |
第11回 彩の国埼玉 全国映像コンテスト 表彰式 |
1月29日、春日部市教育センターにおいて「第11回彩の国埼玉全国映像コンテスト受賞作品発表映写会」が開催されました。 |
1月19日 19:00〜 プライス(旧イトウヨーカ堂)裏の居酒屋 ”千”に於いて撮影を実施。 野地さんに撮影指導・ご協力を戴きました。 |
去る12月23日の天皇誕生日に県立小川げんきプラザ(プラネタリュ−ムのある自然公園)で親子を招いたクリスマスコンサ−トがありました。 |
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先日、私も娘の家で光回線に変えたので設定のし直しと無線ランにしてほしいと頼まれ出かけましたが,中三の孫を含めて悪戦苦闘、結局、サポート
センターの世話になりました。もう私の古い知識では無理、もっと勉強しなければ、と痛感した次第です。 |
Buffalo HDD HDD本体 接続状態 |
今から2年近く前の2009年12月末、ヤマダ電器でPCとムービーを購入し、2010年春に「比企ビデオクラブ」に入会させて頂きました。 |
写真-1 ケーブルテレビ 映像祭のポスター 写真-2 ケーブルテレビ 映像祭の紹介画面 写真-3 映像祭勧誘PR紙 千嶋用 |
【 2011年 手作り映像祭のPR状況 】最近のPR状況 1、現在、東松山ケーブルテレビの「ニュ−ス010」で、千嶋手作りの「比企ビデオクラブ『手作り映像祭』開催案内ポスタ−」が(女子アナの後ろの壁に)使用されております。 写真-1を参照下さい。 2、今週は、東松山ケーブルテレビで、私(千嶋)の自転車紀行の第2回目が2本放映されています。その映像の最後に比企ビデオクラブ「手作り映像祭」の広告が流れています。 写真-2を参照下さい。 3、私(千嶋)の知人友人には千嶋作成のPR紙を渡しております。 写真-3を参照下さい。 千嶋 <補足> 東松山ケーブルテレビの放送状況 ・見竹さんの作品 ・牧野さんの、きらめき市民大学での講演「防災・保険」の模様 ・野地さんの作品 ・浜宮さんの作品 ・千嶋さんの作品 などが放送されていますので機会があれば見てください。 ・・・事務局 浜宮 |
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見竹さんメッセージ 2011.09.26 |
「アマチュア映像界のグローバル化の先がけ」 浜宮さんの「会員通信」、楽しく拝見しました。 わずかな文字数の中でいろいろなニュースに触れられていますね。 アインシュタインの「相対性理論」が揺らぐような、そんなことが、、、まさに 「驚愕」ですね。 日本には「諸行無常」という仏教の言葉がありますが、長いこと人間をやって いますと(といってもまだわずか70年余ですが)この言葉を実感することが 多くなるようです。 変わるのが当たり前、と考える方が今の世の中、生きやすいようです。 新聞を見て怒り、テレビを見てニュースに怒り、ドラマに怒り、町でマナーの 悪い劣化日本人をみて怒り・・・そして何もできない自分に怒り、しかし、何もしない 自分に怒っても、最後は生きるために納得せざるを得ない現実に、、、、、。 総理大臣(首相)が毎年変わり、巨大地震による大津波が押し寄せ今日の当たり前の 幸せは明日は保障されていないことを実感したり、安全神話に守られてきた「原発」が 崩れ去り「想定外」の一言で片付けられたり、これも「想定外」の「歴史的円高」で 日本を支える産業のさらなる空洞化が進みつつあったり、、、、。 国や国境や政治や経済がメチャクチャに入り乱れ、まさにグローバル化ですね。 そんな中で浜宮さんが「彩の国全国コンテスト」に応募することにした、とのこと、嬉しく拝見しました。 作品の内容の素晴らしさはいうまでもありませんが、私が最も 感心したのは、日本古来の文化である「俳句」と「それを創る人」をテーマにしながら英語でのテロップを入れたことです。 YouTubeで全世界に映像が流れる時代を先取りして英語のテロップを入れたことはアマチュア映像の世界にもグローバル化の波が押し寄せていることを意識してのことと思います。 全国コンの入賞など別にして、アマチュア映像の世界に大きな衝撃をあたえるでしょう。 なぜなら最初から「世界中の人に見てもらうこと」を前提に作られた作品なのですから 見竹 |
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浜宮さんメッセージ 2011.09.24 |
『衝撃の大ニュース』(朝日新聞/2011.09.24(土)朝刊) 見竹さんのアドバイスで一念発起し、「第11回 全国映像コンテスト」に応募する事にした。 締め切り9月末、発表は来年1月末(ビデオサロン2月号掲載) 昨晩は、作品を仕上げる為夜なべ、今朝のソフトボール練習はさぼり、ゆっくり 起きてベッドの上で軽くストレッチ・筋トレ後、4月に負傷した左足の回復具合を確かめながらゆっくり1階に下りた。(女房は追突事故の鞭打ち症で、 牧野さん宅近くの河野病院に通院中) とりあえずPCの電源をON、紅茶テイーバックにポットの湯をそそぎ、さてっと・・、新聞を開いて、ガ〜ン! 仰天! 驚愕! びっくり! そして、一息ついてから「この時期に生きていてよかった!」という幸せ感で満たされた。 「光より速い素粒子発見 国際実験 相対性理論と矛盾」 見た瞬間、アインシュタインのベロ出し顔やガリレオの凛々しい立ち姿が脳裏をよぎった。 結局のところ、「不変の(物理)法則」とか「絶対の真理」という ような言葉は禁句にした方がよさそう。 日常生活の中でも「絶対正しい!」なんて言葉は今後、絶対に使わない方が良いのかも〜! もちろん実験精度の問題は残るが・・、ひも理論など、量子力学、物理の世界が今、大きくステップアップしているのを感じ、これから先の情報が待ち遠しい。 それにしても、今、アインシュタインはどんな思いだろうか・・。 浜宮 |
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見竹さんメッセージ 2011.07.06 |
『思いつくまま』 今年の夏は早々とやってきたようですね。 先日、私の住む熊谷市では今年の日本一の「39,8度」を記録しました。 ところが、私はあの日、幸か不幸か(?)熊谷を留守にしていました。 なんと、天竜川で舟くだりを楽しんでいたのです。 何年か前に比企ビデオクラブでも天竜舟下りを楽しみましたが 今回は、前日、上高地が孤立してしまった大雨の後で水量が多く しかも4回目の乗船経験にしてはじめて一番前、つまり舳先の席が 確保出来ました。 カメラにはビニール袋をかぶせ準備万端整えて、、、、、。 ところが、急流にさしかかると舟の防水用のビニールシートを両手で持ち上げ さらに一方の手ではカメラを高く捧げ持ち勘だけを頼りに撮影するわけですから それはかなりの難行苦行、、、、、。 舟を降りる頃にはカメラを持っていた 右手が痺れてしまいました。 前回は、カメラのレンズを何回か拭きましたが今回はそんなこともなく 無事に(?)撮影が済んでしまいました。 その出来栄えは後日、ご覧に入れますが御期待下さい(???) ところで、6月はじめに行ったクラブの戸隠旅行、楽しかったですね。 私、あの一泊二日の旅行で5作品作りました。 「善光寺」「パワ―スポットを歩く」「戸隠中社と門前町」「戸隠鏡池」「夢の跡」 です。 これも例会で見てもらいますが50分の撮影素材から長短ありますが5本の作品を 作ったのははじめてかも知れません。 できるだけ余分なもの、絵にならないものは撮らないように心がけている 効果がやっとでてきたのかと自賛しています。 そして何よりも手軽に編集できる便利なノンリニア編集のおかげかと思います。 暑さに向かって夏祭りがやってきます。 熊谷のうちわまつりでは小学生の孫が屋台に乗り太鼓を叩きます。 旅も佐渡旅行がまっています。そのあとは日光鬼怒川旅行、、、 また今年も忙しい夏になりそうです。 元気で夏を乗り切りましょう。 見竹 |
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【 東日本大震災 】会員から のメッセージ 2011.03.17 - 20 |
『深沢さん、牧野さん、宮下さんからのメッセージ(TEL確認:浜宮)』 宮下さん宅は石灯篭が倒れたそうですが、3人ともに無事で特に大きな問題はなかったとのことです。 尚、牧野さんは地震とのかかわりを深く持ち、防災情報や知識が豊富で、東松山市の「きらめき大学」の講師として地震・防災について 2時間の講義をしたことがあるそうです。 我々の身近に、牧野さんのようなスペシャリストがいたというのは驚きですよね。 TEL確認:浜宮 『野地さんからのメッセージ』 地震のあった時間は、相模原市の町中交差点赤信号で停車中に体感し電柱の下敷きになるのではないかと思う程でした。すぐ停電になり信号が消えて 渋滞が始まりました。20分前高速道路で帰ろうと思ったのですがそこを通過しました。 今になってみれば乗らなくて正解でした。 八王子からも圏央道に乗れなくて山道を走り飯能市〜越生町を抜けて遠回りして帰ってきました。ところどころ混雑していたので6時間もかかってしまいました。 近所の家の屋根瓦は落ちたのですが我が家ではその点免れ助かりました。皆さんも影響はあると思いますがファイトで乗り切りましょう。 野地 『田中喜代子さんからのメッセージ(TEL確認:浜宮)』 ハワイ到着のその日(3月11日)、サイレンがなり、ホテルから丘の上の学校体育館へ3時間かけて避難。 翌日昼まで監禁状態。 100人位が宿泊。 支給されたのは食べ物だけ。 トイレットペーパーが無くなり困ったそうです。 ホテルへ戻るとホテルの1階部分は全部波に流されていたが田中さんの所持品は無事。 その後は観光を続けて、16日(水)に帰国したそうです。 田中喜代子さん(TEL確認:浜宮) 『見竹さんからのメッセージ』 テレビを見ると悲惨な映像と、テレビ局(マスコミ全部ですが)のあまりにも 自分勝手なピントのぼけた解説やニュースにストレスが増す毎日に、日本の将来を悲観しつつも 何もできない自分の非力さに悔しい思いを禁じえない日々が続いています。 そんな中、なにかほのぼのとするメールをありがとうございました。 地震のとき、一人で家の1階にいましたが揺れ方が昔、経験した(現地でではありません) 新潟地震の揺れ方なので遠くでの大地震だ、と思いました。 被害は玄関の水槽の水が溢れびしょぬれになったぐらいで二階のビデオ関連機器は 無事でした。 昨夜は計画停電でしたので、暗闇の中で、一昨年の秋に三陸海岸を2,3日かけて北上した時に 撮影したテープをカメラとバッテリーで見て、今は貴重な映像資料となってしまったであろう風景を 見てその時に知り合った人たちを偲びました。 1週間の生活は、様々な会議やら集まりが中止となり暇で困っています。 だだ一つの協力出来る「節電」に心がけ編集もほとんでしていません。 東松山へ一度はバスでもう一度は車で行きましたが、運よく地震の前日に満タンにしてあったので それ以降、まったく使用していません。(バッテリーあがりになるかな?) これもわずかにできる協力だと思っています。 買い占めも一切関係なく済んでいます。 米をはじめ食うものは腐るほど(実際に腐っているものもありました、、、笑) あるし、懐中電灯や他のライトも、電池も家の中のものをかき集めてみたらなんとかなりそうだし いかに普段のずぼらな生活が役に立つかを思い知りました(?) 携帯ラジオも毎晩つけっぱなしで聞いていたものが役立ちました。 私が改めて用意したものはしまっておいた古い暖房兼炊事用の石油ストーブを 出して分解掃除して使えるようにしただけです。 その他非常時用に七輪・豆炭・炭・水・乾パン・焼酎などは開いてもいません。 高齢者2名だけの生活ではまだ必要ではありません。 子供や孫たちも何とか無事にやっているらしいのでそちらも心配ないようなので。 昔、まともな装備などないころ山をやっていたのでその頃の知識があるがゆえに テレビや新聞などの解説者の言うことが馬鹿らしく聞こえてなりません。 被災地にももう戦後の食糧難やその中を生き抜いた我々の世代の人達は居ないのでしょうか? いてももう世の中の表には出してもらえないのでしょうか。 あまりにも便利な世の中に慣れ過ぎた奢りが見えてなりません。 こんなことをいってもなにもできないのが残念です。 後は、放射能の雨が降らないことを祈るばかりです。 早くお会いできる日が来るといいですね。 では、、また、、 見竹 『須永さんからのメッセージ』 まるで映画のワンシーンのようでした。 現実でした。 怖かっですね。 我が家は無事でした。 須永 『若栗さんからのメッセージ』 それにしても今回の大きな自然災害では、何の手の打ちようもなく呑み込まれていく様を傍観するだけ。 大ショック、恐怖ですね。 私の実家は福島の仲通りなのですが影響が出て、蔵の倒壊と家の周りにめぐらしていた塀が壊れたようで気がかりです。 娘は娘で、帰宅困難者になって、池袋の受け入れ施設で一夜を迎えましたが右往左往の一日目でした。 普段の備えをしっかりしないといけ ないですね。心構えも・・・ 若栗 『浜宮さんからのメッセージ』 皆さん いかがですか。 大変なことになりましたよね。 現地に関係者がおられる方はさぞ心配の事と思います。 特に原発の状況は不安ですよね。 放水の効果にあまり期待が持てないようにも思えるし、でもやっている人達は、命がけでやってるわけで・・。 地震発生時は1人で運転中でした、「パンク? いやサスペンションが壊れたか? 全くマツダ車は・・!」と思って、榎本耳鼻咽喉科の前の産婦人科の駐車場 に緊急駐車。 女房は歯の治療中で先生も患者さんも全員で外に飛び出したそうです。 先ほどの停電時間帯は特にやることもなく、携帯電話のニュースをみたり、犬の散歩をしたり・・でした。 散歩の途中で信号機をみると消えていましたが、 意外と車は普通に走っているように見えました。 信頼できる女房が電池のサイズ(単?)を間違って購入していた為、ラジオも聴けません。 西友は電池売り切れでした。(単3と単4は若干ありましたが・・) 西友の「カップ麺、米、トイレットペーパー、テイッシュペーパー・・」は完全に売り切れ状態でタナは空っぽ。 水も完全に売り切れでしたが、なんと コーラはまだまだ在庫あり、これ幸いと購入。 女房の友人(農家)が親切にも気をきかせて、わざわざ米30kgを持ってきてくれました。 ガソリンが少なくなってきたのでだんだん不安になってきました。 開店しているスタンドは長蛇の列。 停電の時の為に灯油が欲しいのですが買えません。 被災地の事を考えれば、これくらいは我慢しなくては・・。 明日は、朝8:30から予定通りソフトボールの練習をするとの連絡がありました。 高坂のリバーサイド(橋を渡って即左折し下ったところ)でやるとのこと。 このタイミングだし、ガソリンも厳しいし・・、ちょっと残念な気もするけど欠席しようと思ってます。 津波、被災地、原子力発電所の状況を伝える映像は迫力があります。 映像で見る被災者の姿、表情はあまりにもインパクトが強くて直視することが出来ない ことがたびたびです。 一方、写真で訴える力も強いものがあります。 先日の朝日新聞の1面トップ記事は大きな写真でした。 がれきの中で膝をかかえてすわり込んだ少女の姿。 悲しみをかみしめて遠くをみる瞳・・。 新聞を握ったまま体が震え不覚にも涙が出てしまいました。 これは、もう、多分、「ピューリッツアー賞」をとるだ ろうと・・。 写真や映像は、時として強烈に私の心を動かします。 このタイミングで言うのもなんですが、「映像の力!」をあらためて認識しました。 お忙しいところ、お邪魔してしまいました。 目障りなメールを送信して申し訳ございませんでした。 それでは皆さん気を付けて下さい。(気のつけようがないけど・・) いつの日かまた会えることを祈っております。 浜宮 |
見竹克彦(副会長) ベトナムの旅 (2010.11 撮影) |
【 とりあえず 1000作品 】私がビデオの作品作りを始めたのが今から15年前。 55歳で「後輩に道を譲る」との美名で肩たたきをされ退職。 在勤中は私どもの生きた時代の風潮で仕事一途、なんの趣味にもかかわることなく、寝る間も惜しんで仕事をした。 それが一転してやっと人並みの生活になった時に先輩の勧めで当時の「東松山ビデオクラブ」に入った。 当時はリニア編集の時代でテープはHi8だったがその後まもなくミニDVテープとなりノンリニア編集の時代になった。 15年の歳月は重く、クラブでお世話になった諸先輩もだんだん少なくなり、今は私自身が「先輩」といわれているようだ(?)。 4年ほど前、この分なら1000作品が作れるかも、と思うようになり今まで作った作品を整理して数えてみたら ミニDVになってから600を越えていた。 私は、ノンリニア編集になってからは、撮ったものは必ずタイトルを入れて整理しておく。だから作品と言っても全部がBGM・ナレーション入りとは限らない。 いわゆる「現地音」だけのものが多い。これはあとで本格的な「作品」の材料にもする。 撮影のジャンルも旅行(海外も)から自分なりの・・・・まであらゆるものがある。 だから素材は無限である。 見方によっては「粗製乱造」でも あるが作るたびに進歩は感じる。 将来の夢は、これらの映像を多くの人に見てもらい楽しんでもらうことである。 例えば、老人ホーム(という言い方がいいのかな?)を回りお年寄りに 懐かしい映像を見て元気になってもらうとか、最後は図書館にでもライブラリーとして寄付して多くの人にこの時代の映像記録として活用して もらえれば、等々勝手に想像しては作品作りに励んでいる。 近々、改めて整理するがすでに作品数は750位にはなっているはずだ。つまり目標の75%に達しているわけだ。 カメラや編集機材の変化、3D時代への移行、など対応しなければならない問題も多いが、あと少し(?)で達成だ, 頑張るぞー! |
田中久之 顧問 (2010.11.14 手作り映像祭) |
動機・・在職中無趣味・カメラで写真撮影する程度。 退社後カメラの本格的取組を考えていた。
OB(ビデオクラブ員)から入会勧奨あり。Hi8ビデオカメラ購入 即入会 |